『隣の国で考えたこと』
この本は私の持っている中公文庫1996年版で14版というものであるから、このジャンルでいえばロングセラーといえる。
大局的に歴史をみる方法は、ヘーゲル史観並びに唯物史観が日本歴史学及び日本における学問に多大な影響を及ぼしたものであるが、そうした歴史観の方法を活かしたうえで思想性をある程度抜いてできたのが、所謂「教科書」である。著者岡崎氏は優等生さながらである。よく調べているなぁと頭が下がる一方、何か物足りない。尤も、著者によれば、あまりにも日本人書生が無関心であるため、そのように書いたというのであるから、所期の目的は達しているわけである。
この本は1975年の講演を下にしている。一方、「ハングル酔い」という人気フレーズが作られた関川夏央氏の『ソウルの練習問題』は1981年である。
この本では封建制を接点にして日本と韓国とでは諸要素から行き方が違ったところに触れられている。書き方が学術的であるため、というか、色々な文献をあたってつなげているという方法上、非常に読み進みにくい。が、日本においては中央権力が弱まっていったこと、地方の政治は乱れるにまかせられていたこと、武士が力をつけていったことの記述の7章「絢爛たる李朝文化」のところは興味がそそるところである。明治の中央集権体制、戦中の国家体制、戦後の都市集中の様相が今日、崩れてきたとともに中央政権が確実に異常な信号を発している。そうした様相の符合のためである。
ところで、永遠のロングセラーであった『水戸黄門』もいよいよ終了である。もともと史実と異なる講談の世界のドラマであったが、仮面ライダーやウルトラマンシリーズがどんどん変化していくのと同様、このシリーズも控えめながらも変化していった。ところが、紅白歌合戦とこれだけは変化してはいけなかったという意見も根強い。代りに、素人のど自慢が好調。
日韓ともに、相手国批判がナショナリズムをもたせる変な構造を共有するのだが、戦後日本のナショナリズムは弱く、論理化するにも泥濘に建物を建てるようなものである。かつては文芸雑誌が文化を形成してきたものだが、今は成立しない。映像もまた然り。ネット社会のような弱いナショナリズムメディアにおいて日本の状態はマッチするはずだが、うまく反応しきれてはいない。次の段階に進めない何かがある。
日本では、テレビで見たいものがないという意見も増えている。ドラマで特徴的なものは「○○殺人事件」モノが定番となっているくらいである。これが輸出できるのであれば、相当なソフト量といえるが、強いて見たいというものでもない。青少年への影響、表現規制、CM企業への配慮など製作側はがんじからめである。
テレビ局に対する視線も制作会社に対する重し批判など、厳しくなってきた。ただ、それでも情熱さえあればいいものはできていくものだが、もはやその時期は過ぎたのか。
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