65歳まで再雇用義務付け…厚労省方針
《厚生年金の支給開始年齢の引き上げに伴い、加入者が無収入となる期間をなくすため、厚生労働省は企業に対し、希望者全員を65歳まで再雇用するよう義務付ける方針を固めた。》
年金制度と民間の雇用とはもはや切り離して設計すべきである。上手くくっつけるには現状雇用情勢がそれなりに安定していなければならない。結果が見えているというもの。強制的に従業員としての地位を確保する体制づくりをするわけでもなく、あとは民事紛争にてというものであるが、法定規定なので労働局あっせんは受け付けず、裁判所の諸制度を利用することになる。
日本における労働政策が国家政策であるか行政制作であるかがいまだあいまいなのは、それなりの歴史がある。日本の政策決定過程自体が第三者からみて何がどうなってという経路がすこぶるわかりにくいものであることが一番重要でかつややこしい課題であろう。そういう国は「民主主義」と普通いわないが、形式的に選挙を経てという一点だけで「民主主義」と名乗っているものである。それだけならまだしも、当然(本来の民主化)を進める発想もあるわけで、しかもそれは形式上難癖のつけようがないものであるから、そういった運動も同時に、日本社会では走っているから複雑怪奇なのである。戦前もそうなったが、「国防」色を強めて社会は変わって行ったのである。では、どういうわけで変えて行ったのかがわからないのである。マスミがひとつ、軍部がひとつ、国民が一つ、それに引きずられた政府がひとつ、とタマネギの皮を剝くようにしてわかるのであるが、すっきりとはしない。まぁそれはそれとして。
日本の雇用と労働法 (日経文庫)濱口 桂一郎
このブログでこの本http://sr-partners.net/archives/51785309.htmlのことを知った。大河内一男氏の本等で何回か戦中の戦略について語ったことがあるが、昭和40年台で終わっている。それ以後の歴史を大きく日本史的視点で書く人がいなくなったと思っていたら、いらっしゃったわけである。大河内氏の時代もそうであるが、唯物史観の影響はアカデミックな領域すべてにわたっていて、時代史ならぬ思想史になっており、金太郎飴であった。時代史を手がけると需要がないから評価もされず、学者もマーケティングにならうわけである。ただ、時代史の視点がないと、国民生活はすさむ一方である。年金記録で時代史が必要になったことを銘じるべし。