2012年2月15日(水)
芭 蕉
松尾芭蕉は私の家の古い一族に連なっているが、血縁があるのではないようである。伊賀の北東部、柘植地方は中世柘植七党と呼ばれる土豪たちによって治められていたが、松尾氏も竹島氏もその一員であった。300年もあって、芭蕉のすぐ上の姉が愛田の竹島氏に嫁いでいる。長い間には芭蕉はどのようにか竹島氏の血を享けてもいよう。
ところがこの竹島氏は本来の高島の血族というのではないようである。竹島家には系図が伝わっていて、現在24代とかである。それは信じられるが、家の起源としては、奥州藤原氏とか、竹島の名の起こりを琵琶湖の無人島に求めるなど、奇態なものであって作られたものである。柘植七党の起こりは鎌倉幕府に属した平宗清という人物の子孫とされていて、南北朝時代に始まる竹島家の始まりよりは一時代古い。これ自体説話に過ぎないかのようだが古いことは事実であろう。
この族人が南北朝時代に、仁木氏に属していた正統的な名門の高島氏の烏帽子子となり、名を頒たれたと考えられる。その際竹島と改められた。柘植七党を近江の高島七頭になぞらえた。
昔の人は血縁にこだわらなかった。武士の一言とか男の約束とか、習慣とか規約というしばるもの、否定の否定の存在もさることながら、互いに心を定めてそうしたという事実、それは疑いもない真実だったのである。
それは現代人の考える、生理学的科学的な家系、証拠による証明という弱みをつかむ悪意によるそれでなく、信頼という肯定性に重きを置く、昔の人らしい雄健さがあった。現代人のように合理性に毒されていない。今の人は自分の心さえ信じられないのだ。証拠に頼る、ことに物証を好む。あるいは現代の裁判の証拠、ことに物証の重視は精度を上げたかもしれないが、心に宿る真実は忘れられた。
遺伝という合理的発想、10代経てば1000分の1、20代すれば100万分の1となる。とてもじゃないが意識が、心がなくては追いつかない。芭蕉の場合も、血縁云々よりも、縁を意識し、心を通じることに意味がある。こういう場合は実証科学ではなく肯定の哲学の出番である。

