2008年5月25日(日)
この国の社会保険制度について
この国に産まれたことをありがたく思う。勤勉に働いて、無事定年を迎えることができれば、それ以降の老後の生活は、まったく不安が無いとは言えないが、贅沢さえしなければそこそこの暮らしがしていける。私たちがまだ幼かった頃、今から四、五十年前、年寄りの扶養は息子夫婦に依存され、それも家庭の事情とか台所状況によって、まちまちであったように記憶している。
また、この国ではなくお隣の中国や北朝鮮で産まれたとしたら、たとえ同じ時間で同じような労力を費やしたとしても、そう老後の生活が今の日本と同じようにはいくまい。あと三十年もしたら状況はガラッと変わって、中国の方が日本よりもはるかに手厚く環境整備が整うかもしれない。三十年後も、世界に占める日本の経済力が今以上に維持できているとは到底思えない。
社会保険制度というのは、日本の経済力、貿易収支、ドルの安定と円の依存度、それらに負うところが大きい。戦後三十年から今日まで日本の経済力は一番隆盛を保っていた時代ではなかったか。日本の電気製品、車やオートバイ、半導体、そして製品を造る工作機械などいたる面において「メイドイン・ジャパン」が世界を席巻している。これがいつまでも続くとは限らない。中国が日本を猛追している。いま日本で格差社会が問題化されつつあるが、これを端的に解消したら日本の世界における経済競争力は急激に低下する。そのことは直、社会保険制度にはね返っていく。
大企業が史上最大の利益を上げたり、非正規社員が増加したり、フリーターやネット・カフェで一夜を過ごす人が増えたりしていることは不条理なことである。その不条理によって、社会保険制度が保たれている側面もある。不条理を激化しろと言っている訳ではない。でも不条理を全く失くすことは、日本の経済力を弱め、しいては社会保険制度を低下していくことにつながっていく。
よく少子化問題が取りざたされ、十年後、二十年後一人当たりのお年寄りを支える負担額が益々増えていくと騒がれたりする。でも、少子化が進み人口が減っても、高度な社会保険制度が保たれる場合がある。高度な工業社会において、富を産むのは必ずしも人間とは限らない。生産工場のオートメーション化であったり、ロボットであったりするわけである。彼らは、老後の生存を要求するわけではない。われわれの社会年金制度の一役を彼らが担っているとしたら、われわれは彼らにもっと感謝しなければならない。このことは、外国人労働者に対しても言えることである。
厚生労働省の不手際もあって、国民からいっせいに批判の矢を浴びているが、マスコミの報道にも偏があるのではないか。最近ではNHKでさえも批判的である。この国においては、おおむね年老いた人のほうが預貯金高が高い。子を持つ若い世代の人たちは、私の周りを見る限りやっとこである。お寺さんの言葉にこういったのがあった。「歳をとると、お金も時間もできるが、命がない」と。若い人たちが困った時に、お年寄りがお金を出して助ける。そうすることによってお年寄りが大切にされる、といった意味では善い施策であるかもしれない。お年寄りも従事していた職業や生き方によってさまざまである。マスコミはほとんど、不都合な例を引き合いに出してくる。この国の社会年金制度をうまく活用して、悠々自適の生活を送られている方もたくさんいるはずだ。広く情報を公開して、最終的には政治決断すべきである。

